2013年10月27日 星期日

陶芸雑誌さんからの記事のお誘いを頂き誠に感謝しています。読者のみんなさんと私が陶芸への思いを分かち合うことができとても光栄です。天目釉の歴史と技術について、昔陶芸雑誌さんが発行された特集には詳しい内容が載っていたので、ここでは語らないことにしますが、私が創作してるときの思いだけ伝えたいと思います。
今月号にはたくさんの陶芸家が集まって、台湾の天目茶碗創作について語るというテーマで、是非みんなさんも読んでみてください。
下記内容は私が書いた記事の一部です。ご覧に頂けると幸いです。

私は長年陶芸の仕事をしていて、ずっと思っていることがあります。それは、一件の作品は、見た者が作品の美しさをゆっくり味わい、鑑賞できるものこそ芸術作品だと思います。一目でパッと見て終わる物ではなく、異なった角度や照明で、その美しさを賞美、発見させることができる物こそ芸術だと思います。
美の芸術経験を見た者の心に留めるには、漸次的な美感経験を作り出すことは私の課題です。
《周易•系辞下》曰く:「形而上者謂之道、形而下者謂之器」(形より上なる者之れを道と謂い、形より下なる者之れを器と謂う)ある年輩の日本人茶道先生が筆者の工房へ訪問しに来たときはこう言っていました。「私は茶碗を持ち上げると、その茶碗を作った者の年齢と茶碗を作ってるときの心境が分かる」。これは形而上と言えるでしょう。

私は自分の作品を「禅天目」と名付けたのは、見た者に善美を伝えるために、絶えずに心の修行をするように自分に注意しているのです。私の中で、天目釉は穏やかな雰囲気の中で、自分の人生を探るための表現だと思います。この心境をうまく表現するには、絶えずの修習が必要で、心で釉薬、土と炎を操ることで、深みのある美と感動を作り出すことができると思います。



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